徹底探索

あっ という間に夜中になった。


「目に見えるものが全てだと思ってる奴等にはこんな演奏できない」
というセリフが重力ピエロにはあった。
が綿貫には目に見えるものが90%以上を占めてしまう。
しかしそれは視覚的なことではなく(正しくはそうなのかもしれないが)
ここで言いたいのは文字のことだ。



郷に習うのが上手い。自分を周りに合わせるほうが楽だ。
そんな風にして自分が属する世界の呼吸になっている。日々。
それが自分に負担をかけていることすら気付かなくなっていて磨り減っている。



高架下の喫茶店で本を読んでいた。季節は初夏。iPodからはスマパンの曲。
時々新幹線が通過し、轟音と振動が小さな店を覆う。
氷が溶けて薄くなってしまったアイスコーヒーを少しずつ口に含みながら読んでいた。あまり冷房が効いていない。
主人公は生まれ育った街を、根が張ってしまったように抜け出せないでいる。
なんてことない田舎の冴えない街。
知的障害者の弟に、引きこもりで過食症の母親に。(すでに彼女は自力で外に出られないぐらい太ってしまった)
ipodは「1979」に入る。綿貫の大好きな曲だ。
やさしい主人公は世間から緩く笑いものにされる家族たちを愛しているし尽くしている。それでもまだ自分には足りないと言う。
コーヒーはぬるくなってしまった。集まった水滴が一滴、ページに垂れて指で拭った。
新幹線が通過する。
ガタガタと持っている本が揺れた。
そしてはたと、気が付いた。時間が止まったような気がした。
自分がこの曲を心底愛していると同時に、憎んでいることに。
そしてこの主人公も、この家族を、街を、愛していながら同時に激しく憎んでいるのだ。
クライマックスでは家族の暮らしていた家は全焼し、主人公は旅立つ。
そして、綿貫は考える。
それでどうなるんだ。


本を閉じ、強烈に眩しい午後の日射の中へ歩み出しながらも、考えていた。
それで一体、どうすれば。


果たして気が付いただろうか。
愛しさと憎しみは思っていたよりずっと近くにあり、その境界あたりはもう混じり合って馴染むことさえある。
その感情の在り方に苛立つが感情の対象たる存在が好きな事に変わりは無い。
こんなこと。


本を読まなかったら、この世に小説が無かったら、一体どうやって気付くんだ?
実体験以外で新しい発見をする機会なんてあるのか?
「これからどうすれば?」
こんな疑問の出発点すらあったのだろうか。
歩く速度や見える景色も自分のもの。
考える、考える。
これが自分のペース。
文字を読んで考えるだけで取り戻せるもの。


やっぱり、字が読めなくなったら自分の大部分を損なうな、と綿貫は思う。
楽家だったらつまらない演奏をするだろう。
けれどこうやって生きていくのが自分なのだろうなと思う。